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  • 2017.04.15 Saturday
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 週に二日はリハビリに通って決められたコースの運動をしている。町内の仲間は皆さん殆ど休まずに精励している。主治医は顔を合わせるたびに「適度の運動を続けるのですよ。高齢者の運動不足は忽ち筋力を弱めます」と激励してくれる。

 このところ、囲碁は全くと言っていいほど対戦していない。そのかわり、時には囲碁のソフトと対戦していい手を教えて貰っている。

 「心に残るとっておきの話 第5巻」を読了する。書いた人はみんな素人だが、なかなかいい作品が混じっている。

 寒さがつのってきたのでこのところ閑居して読書を楽しんでいる。今日読んだのは「吉村 昭:三陸海岸大津波」だった。この本は明治29年と昭和8年に三陸海岸を襲った大地震と多くの死者をだした津波について克明に調べて報告したものである。地震が起こってからすぐさま避難を開始すれば多くは助かった命であろうに、地震から津波の襲来までにはおよそ30分の時間的余裕があったのだが多くの住民はすばやい避難を開始しなかった。
 
 この夜は寒さが厳しくいてつく星空だった。一度は目覚めた人たちも再び寝床にはいり眠ってしまった。老人は口々に言う。「晴天の日は津波は来ないものだ。逃げなくても大丈夫だ」この誤った迷信が住民を支配し逃げ遅れの原因になった。誠に痛ましいことであった。彼らが津波の襲来に気付き目覚めた時凶暴な悪魔は住宅に襲いかかっていた。

 夕方頃散歩を兼ねて近くのスーパーまで買い物に行く。家内は生協と契約しているのでご近所の人と週1回生鮮食品などを配達してもらっている。最近は男が買い物をしてもおかしな風景ではなくなった。私はお店の商品のあり場所をあらかた記憶してしまった。

 昨日も雨が降り閑居したが今日も同じ理由で外出をしなかった。パソコンで世界のニュースを熱心に見たが、韓国のそれで「日本と再び併合したい。日本は優れた国で軍備も整っている」と投稿してあったのを見てちょっと驚いた。韓国は独立以来飽くことなく日本を非難し続けているが、日本を敵にまわすとアジアでは孤立してしまう。

 もし北朝鮮が第2次朝鮮戦争を起こした時、日本人は不愉快な韓国を援助する気にはとてもならないだろうと思う。口を開けば日本の悪口ばかりいう大統領はもっと冷静に隣国と仲良くしないといけないと早く気付かねばならない。

 
 今日は福祉センターに囲碁の対戦に行くとしよう。幸いにFさんが相手してくれて1局だけ対戦ができた。ゲ−ム時間は90分でいささか長すぎた。ヨセになる頃目算したら私が少し足らないようだった。ただ右上の隅が相手が受けを間違えると頓死する模様だった。ヨセがいよいよ進行してこの隅になった。真ん中にほうりこんだら相手は不用意にかたちを決めた。いい受けのようだったが実はこれでは生きがなくなる悪手だった。有難く頓死していただいて私の勝ちになった。

 火曜日はここでは囲碁の講習会が開かれている。その中に3年前まで私と勝ったり負けたりしていた好敵手のTさんが熱戦中だった。「豊前坊ですよ。元気そうだね」と声をかけると振り向いた彼の顔に一瞬戦慄が走り彼は絶句して声が出なかった。「脅かしてすまなかったね。3年ぶりだもんな」多分彼は私がもうこの世にはいない人と思っていたらしい。こうして何人かの古い囲碁友達と再び勝った負けたを楽しむ事になった。何時まで続けられるか、それは神のみぞ知る。

 曇りの日だったが福祉センターに行く。Zさんに電話したら行くとのことで出かける。彼とは3年前はやや互角に近く楽しめたものだ。私の先で始める。1局目は20目の勝ちになって楽勝だった。ここで暫時休憩することにし、コーヒーを飲みながら雑談を楽しむ。次の1局は相手が頑張って私の10目の負けとなる。

 Zさん  先  〇  20目の勝ち
 Zさん  先  ●  10目の負け

 最近は高齢者それも超高齢者の運転する車の事故が多発している。中には90歳を越えた人も多い。私の目にする90歳を越えた老人はあらかたは歩くのがやっとで、機敏な運動神経を要求される運転免許証を取得できる能力があるとはとても思えない。警察は早急に抜本的解決策を取らねばならない。若い人たちが高齢者の無謀運転であたら若かい命を落とすなんて、私には耐えられない。

 「浅田次郎:五郎治殿御始末」を読了する。

 久しぶりの雨の日になり自宅閑居して体力を回復することにする。Hさんと囲碁を1局だけ対戦する。Hさんは殆ど毎日囲碁びたりでその甲斐があって、2年ほど前には私に2−3子置いていたのに今は私が先になっていても多くはたじたじである。数年前の勝った負けたの理想的な相手はかなりの人が上達を諦めて脱退してしまい、今は強敵に成長したかっての仲間だけがしぶとく生き残って見るたびにランクを上げつづけ私を苦しめている。流石に何目か上がった人たちは力を付けたのであるから、私が渾身の気迫で迫っても力の差はどうしようにもなく一敗地に敗れてしまう。今日は幸いに相手に見落としがあって30目の勝利を得た。

 Hさん  先  〇  30目の勝ち

 インターネットで映画を見てもさほど面白くはないが、今日見たのはいくらか楽しめた。滅多にないことである。

 友人からお借りした今年の芥川賞作品の「又吉直樹:火花」を読む。10ぺーじほど読んで私は読むのを諦めた。面白いとも、優れた作品だとも思えなかったからである。私は現代文学を鑑賞できなくなるほど老いぼれてしまったのかと悩む。数日おいて再度挑戦してみよう。一度の挑戦で読めないと投げ出すのは選考委員に悪いのではないかと考え直したのである。もう一度挑戦してみてそれでも読み続けられなかったら、潔く現代日本文学から去るとしよう。私は縁なき衆生と断定しよう。

 今日も温暖な気候の日になったので3度目の福祉センター行きとなる。疲れるのは確かだが耐えられないほどではないので今日も行く。お相手は何時ものFさんで今日は2局対戦して1勝1敗となった。2局続けて打つと腰が痛くなってこれで止めにする。対戦中にTさんがやってきて「大広間に99歳のおばーちゃんがいますよ」とわざわざ知らせに来てくれた。彼の真意はあなたも頑張って碁を打ちに来なさいとのなぞであるらしい。ご期待に応えられるかどうか今のところ何とも言えない。

 Fさん  後手  ●〇  かれはこの3年のうちに大分腕が上がっている。81歳である。

 「金 美齢:私は、なぜ日本国民になったか」を読了。著者は台湾人。
 「呉 善花:私は、いかにして「日本信徒」となったか」を読み始める。著者は韓国人。

 

 温暖な気候で晴天だったので息子が唐津へドライブに行かないかと誘いに来た。何度も行っているけれど行くことにする。福岡市の西方は前原市だが最近の発展ぶりは驚くほどで目を見張る。唐津に這入って長い虹ノ松原の防風林を通過すると海岸べりにホテルがあったので、ここで昼食をとることにする。雄大な唐津湾を一望の元に眺めながら食事をするのはいい気持ちであった。

 ついで唐津城に登る。エレベーターがあるので大変楽でいい。石段を登ると大層苦労するところだった。寺沢志摩守が築いたこじんまりした城には天守閣もある。天主台からの眺めは先ほどのホテルから見た景色より更に見晴らしが良かった。今日は少し疲れたが秋の絶好の行楽になった。

 

 秋の上天気が続いているので3年前までは熱心に囲碁の対戦に通っていた福祉センターに急に思いついて行った。もう名前も顔も忘れさられているだろうと予測していたが、事務室の二人の女性は良く忘れないで覚えていてくれた。かっての囲碁仲間は二人だけが来訪していた。そのうちのFさんと対戦する。彼は幾らか上達をしていた。当時は相手が4子置いていたが、今日は先で対戦を始める。相変わらず良く考える人で対戦時間はたっぷりと1時間ばかりを要して私の20目ばかりの勝ちで終る。今日はこれでやめるとする。
 
 Fさん  後手  〇  20目ばかりの勝ち

 ここで今はなきかっての碁敵を懐かしく思い出してみよう。

 Hさん: 国鉄の職員だった人で部下を400人持っていたと話していた。初めて対戦した時この人は92歳だった。私は4子置いて丁度よかった。Hさんは熱心にお相手をしてくれたので、一年ほど二人だけであきずに対戦した。
   Mさん: 台北高等商業卒で柔道の副将で3段だったと言っていた。この人とは随分飽かずに対戦したが、Mさんが病に倒れる頃は互い先でいい勝負だった。
 Miさん: この人は大型船舶の1等航海士だったそうで何時も姿勢が良かった。ただ、待ったをするのがイヤだった。
 Hoさん:剣道5段だと言っていた。国体の5,000m陸上に鹿児島県代表で出場したそうで性格は温和、囲碁は私より少し弱かった。何時も和気藹々と楽しく対戦ができた。戦争中は騎兵で中国大陸を走り回ったそうだが、敗戦間際には私の故郷の村に小隊長として赴任し、アメリカ軍の上陸に備えて塹壕掘りの毎日だったと言う。
 Hさん:陸軍中尉で佐賀関の要塞砲の守備についていた。あるとき連隊長が視察にきて実弾の発射訓練があった。ところが何の間違いか砲身が爆発して砲の回りにいた人は殆ど全員が爆死した。Hさんはその日別な勤務についていて幸いにも難を免れた。初段だと言っていたが88歳になった頃は5級くらいに力が落ちていた。    
 この人は名前を忘れた:東京大学文学部卒で文部官僚だったが終戦後公職追放になったそうだから、相当えらかったのであろう。この人は頭はいいのに囲碁は弱かった。一向に上達しない人だった。

 以上思い出しても懐かしい囲碁のお相手だった。いづれも80−90歳台まで生き抜いた。ぼけた人は一人もいなかった。早死にした人もいなかった。囲碁を愛好すると痴呆にならないというのは本当らしい。

 体重を計量したら春の頃と比べて3kg増加していたので慌てた。体重の増加は脚力の衰えた高齢者にとっていいことではない。早速今日から減食することにする。ついで散歩も増やすことにしよう。5年前の日記を読んで見たら私はあの頃は平均2,000mは疲れもしないで歩いていた。今はたった平均500mをとぼとぼと歩いている。寄る年波でいかに体力が衰えているかが分かる。

 1局囲碁を対戦する。お相手はわたしが2子置く人で、幸いに全力を出し切って戦い18目の勝ちになった。昨日も最近負け気味の3さんにねばり強く戦って勝ちをもらった。いくらかは調子が上がってきつつあるようだ。それなら嬉しいが。体力と気力が充実すれば勝利はひとりでに訪れる。
 
 Mさん  2子  〇  18目の勝ち

 「中山典之:実録囲碁講談」を読み始める。囲碁随筆を書かせるとこの人の右に出る人はいなかった。

 夜はパソコンの映画を一つ見る。刑事物は見ていて疲れる。先週までは「チャタレー夫人の恋人」を面白く見た。佳作であった。

 


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