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  • 2016.10.26 Wednesday
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 曇りの日だったが福祉センターに行く。Zさんに電話したら行くとのことで出かける。彼とは3年前はやや互角に近く楽しめたものだ。私の先で始める。1局目は20目の勝ちになって楽勝だった。ここで暫時休憩することにし、コーヒーを飲みながら雑談を楽しむ。次の1局は相手が頑張って私の10目の負けとなる。

 Zさん  先  〇  20目の勝ち
 Zさん  先  ●  10目の負け

 最近は高齢者それも超高齢者の運転する車の事故が多発している。中には90歳を越えた人も多い。私の目にする90歳を越えた老人はあらかたは歩くのがやっとで、機敏な運動神経を要求される運転免許証を取得できる能力があるとはとても思えない。警察は早急に抜本的解決策を取らねばならない。若い人たちが高齢者の無謀運転であたら若かい命を落とすなんて、私には耐えられない。

 「浅田次郎:五郎治殿御始末」を読了する。

 久しぶりの雨の日になり自宅閑居して体力を回復することにする。Hさんと囲碁を1局だけ対戦する。Hさんは殆ど毎日囲碁びたりでその甲斐があって、2年ほど前には私に2−3子置いていたのに今は私が先になっていても多くはたじたじである。数年前の勝った負けたの理想的な相手はかなりの人が上達を諦めて脱退してしまい、今は強敵に成長したかっての仲間だけがしぶとく生き残って見るたびにランクを上げつづけ私を苦しめている。流石に何目か上がった人たちは力を付けたのであるから、私が渾身の気迫で迫っても力の差はどうしようにもなく一敗地に敗れてしまう。今日は幸いに相手に見落としがあって30目の勝利を得た。

 Hさん  先  〇  30目の勝ち

 インターネットで映画を見てもさほど面白くはないが、今日見たのはいくらか楽しめた。滅多にないことである。

 友人からお借りした今年の芥川賞作品の「又吉直樹:火花」を読む。10ぺーじほど読んで私は読むのを諦めた。面白いとも、優れた作品だとも思えなかったからである。私は現代文学を鑑賞できなくなるほど老いぼれてしまったのかと悩む。数日おいて再度挑戦してみよう。一度の挑戦で読めないと投げ出すのは選考委員に悪いのではないかと考え直したのである。もう一度挑戦してみてそれでも読み続けられなかったら、潔く現代日本文学から去るとしよう。私は縁なき衆生と断定しよう。

 今日も温暖な気候の日になったので3度目の福祉センター行きとなる。疲れるのは確かだが耐えられないほどではないので今日も行く。お相手は何時ものFさんで今日は2局対戦して1勝1敗となった。2局続けて打つと腰が痛くなってこれで止めにする。対戦中にTさんがやってきて「大広間に99歳のおばーちゃんがいますよ」とわざわざ知らせに来てくれた。彼の真意はあなたも頑張って碁を打ちに来なさいとのなぞであるらしい。ご期待に応えられるかどうか今のところ何とも言えない。

 Fさん  後手  ●〇  かれはこの3年のうちに大分腕が上がっている。81歳である。

 「金 美齢:私は、なぜ日本国民になったか」を読了。著者は台湾人。
 「呉 善花:私は、いかにして「日本信徒」となったか」を読み始める。著者は韓国人。

 

 温暖な気候で晴天だったので息子が唐津へドライブに行かないかと誘いに来た。何度も行っているけれど行くことにする。福岡市の西方は前原市だが最近の発展ぶりは驚くほどで目を見張る。唐津に這入って長い虹ノ松原の防風林を通過すると海岸べりにホテルがあったので、ここで昼食をとることにする。雄大な唐津湾を一望の元に眺めながら食事をするのはいい気持ちであった。

 ついで唐津城に登る。エレベーターがあるので大変楽でいい。石段を登ると大層苦労するところだった。寺沢志摩守が築いたこじんまりした城には天守閣もある。天主台からの眺めは先ほどのホテルから見た景色より更に見晴らしが良かった。今日は少し疲れたが秋の絶好の行楽になった。

 

 秋の上天気が続いているので3年前までは熱心に囲碁の対戦に通っていた福祉センターに急に思いついて行った。もう名前も顔も忘れさられているだろうと予測していたが、事務室の二人の女性は良く忘れないで覚えていてくれた。かっての囲碁仲間は二人だけが来訪していた。そのうちのFさんと対戦する。彼は幾らか上達をしていた。当時は相手が4子置いていたが、今日は先で対戦を始める。相変わらず良く考える人で対戦時間はたっぷりと1時間ばかりを要して私の20目ばかりの勝ちで終る。今日はこれでやめるとする。
 
 Fさん  後手  〇  20目ばかりの勝ち

 ここで今はなきかっての碁敵を懐かしく思い出してみよう。

 Hさん: 国鉄の職員だった人で部下を400人持っていたと話していた。初めて対戦した時この人は92歳だった。私は4子置いて丁度よかった。Hさんは熱心にお相手をしてくれたので、一年ほど二人だけであきずに対戦した。
   Mさん: 台北高等商業卒で柔道の副将で3段だったと言っていた。この人とは随分飽かずに対戦したが、Mさんが病に倒れる頃は互い先でいい勝負だった。
 Miさん: この人は大型船舶の1等航海士だったそうで何時も姿勢が良かった。ただ、待ったをするのがイヤだった。
 Hoさん:剣道5段だと言っていた。国体の5,000m陸上に鹿児島県代表で出場したそうで性格は温和、囲碁は私より少し弱かった。何時も和気藹々と楽しく対戦ができた。戦争中は騎兵で中国大陸を走り回ったそうだが、敗戦間際には私の故郷の村に小隊長として赴任し、アメリカ軍の上陸に備えて塹壕掘りの毎日だったと言う。
 Hさん:陸軍中尉で佐賀関の要塞砲の守備についていた。あるとき連隊長が視察にきて実弾の発射訓練があった。ところが何の間違いか砲身が爆発して砲の回りにいた人は殆ど全員が爆死した。Hさんはその日別な勤務についていて幸いにも難を免れた。初段だと言っていたが88歳になった頃は5級くらいに力が落ちていた。    
 この人は名前を忘れた:東京大学文学部卒で文部官僚だったが終戦後公職追放になったそうだから、相当えらかったのであろう。この人は頭はいいのに囲碁は弱かった。一向に上達しない人だった。

 以上思い出しても懐かしい囲碁のお相手だった。いづれも80−90歳台まで生き抜いた。ぼけた人は一人もいなかった。早死にした人もいなかった。囲碁を愛好すると痴呆にならないというのは本当らしい。

 体重を計量したら春の頃と比べて3kg増加していたので慌てた。体重の増加は脚力の衰えた高齢者にとっていいことではない。早速今日から減食することにする。ついで散歩も増やすことにしよう。5年前の日記を読んで見たら私はあの頃は平均2,000mは疲れもしないで歩いていた。今はたった平均500mをとぼとぼと歩いている。寄る年波でいかに体力が衰えているかが分かる。

 1局囲碁を対戦する。お相手はわたしが2子置く人で、幸いに全力を出し切って戦い18目の勝ちになった。昨日も最近負け気味の3さんにねばり強く戦って勝ちをもらった。いくらかは調子が上がってきつつあるようだ。それなら嬉しいが。体力と気力が充実すれば勝利はひとりでに訪れる。
 
 Mさん  2子  〇  18目の勝ち

 「中山典之:実録囲碁講談」を読み始める。囲碁随筆を書かせるとこの人の右に出る人はいなかった。

 夜はパソコンの映画を一つ見る。刑事物は見ていて疲れる。先週までは「チャタレー夫人の恋人」を面白く見た。佳作であった。

 

 快晴が続いている。今日は囲碁を4局連続して対戦し1勝3敗だった。つまらないミスで勝てそうな碁をふたつも負けてしまった。私の不調は相変わらず続いている。半目でも上がる事はもう難しそうである。毎日熱心に4−5局対戦を続ければ、ひょっとしたら1目くらいは上がってくれるかもしれないが。

 3さん  互角  ●  中押し負け  頓死
 Hさん  互角  ●  中押し負け  頓死
 Aさん  2目  〇  中押し勝ち  やっと勝てた
 3さん  互角  ●  10.5目の負け

 この後散歩に行き、公園の前を通ると友人もYさんが毎日の日課である野良猫に餌をやっていた。これは連日のことである。人それぞれ意見が別れるが、町内の配布文書には「野良猫に餌をやらないでください」と通知があった。餌をやりにYさんが朝夕現れると猫たちは潅木の中からいそいそと出迎かえる。猫は犬と違っていたくおとなしい。

 数日前古本屋で買ってきた「佐藤愛子:かくて老後は消えてゆく」を読む。この本で愛子は書き納めにするそうで、だから読んでみようと思う。

 日中は表記の勇士の自伝を読む。開戦当初当時の海軍の零戦は世界一優秀で乗員は特別資質のある人を厳選して猛訓練していたので無敵だった。この岩本徹三さんは天才的なパイロットで大戦中驚くことに実に220機のアメリカ軍機を撃墜した記録を持つ。何度か危機一髪の目にあったがそのたびに賢明にも活路を開いて戦争が終るまで無事生きのびた。その英雄的戦いぶりを読む。

 岩本徹三:零戦撃墜王 ー空戦8年の記録ー  光人社NF文庫

 夕方散歩を兼ねてスーパーに買い物に行く。家内の労力節約のためにあんまりうまくはないが弁当を買って帰る。

 帰宅して久しぶりに囲碁を1局対戦する。いいゲームになっていて中盤の終わりごろ目算したら15目ほどリードしていた。私は安心してやおら自分のダメを詰めた。ところがこれが大失敗だった。コウに持ち込まれて私は敗れ、このため15目ほど死んだ。やんぬるかな!

 5さん  互角  ●  中押し負け 

 終日雨が降ったので閑居して読書に時間を潰す。読んだのは下記の図書で、ビルマ派遣軍がインドのインパールに侵攻したあの負け戦さを元報道班員が克明にしるしたものである。弾薬も食料も全く補給されないで戦わされた将兵が哀れである。日本軍の高級将校は若干を除いてみんなアホばかりですね。明治37−8年の日露戦争の時からさほど進歩していない武器を持たされて戦った歩兵が可愛そうでならない。特にこのインパール作戦を計画し攻め込んだ司令官は性格異常者ですね。その名を牟田口錬也中将と言う。

 高木俊朗:全滅  文春文庫

 2週間ほどパソコンは動かず日記はお休みだった。昨日は息子一家が来てくれたので先ず息子にパソコンを使えるように直してもらい、ついで家内の部屋の蛍光灯が古くてダウンしたので、香椎まで買いに行ってくれて新品を付けてくれた。球はLEDだそうだから、10年はもてるそうで大助かりだった。若い人の援助なしには私どもの老人所帯は成り立たない。

 2週間日記を書かなかったのは以上の理由からで決して私が体調不良だったからではない。体調がいいとはいえないが幸いに寝込むほど弱ってはいない。今日東京の妹から安否の問い合わせがあって恐縮した。


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